
実は、僕は皆さんが思う以上に何も考えていない。
僕がやっているのは、勘に頼った一本釣りみたいなもの。
それを学者や記者の方が学術的に説明したり、分析したりしてくれるが、
僕自身は狙って行動しているわけではない。
スマホのアプリで何か作って欲しいと頼まれることが多い。
そういう話は、料理を作るときに、何を作るのかではなく、
何に盛り付けるかを重要視している。
僕たちが作らなければならないのは、決して皿に合わせた料理ではない。
美味しい料理を作らなければならないのに、あまりにも皿側に
目が行ってしまっていると感じている。
秋元康氏 談
<ばたさん語り>
秋元氏が何も考えていないわけはないと思いますが、
今までにひたすら考えてきた経験に比べれば、今は考えていないと
いうことなんでしょうか。
具象や抽象、主観と客観等の観点から思考を繰り返して
今までのヒットを生むことができたんだと思います。
アプリの話に関しては、「目的と手段」の話かなと思います。
楽しい、面白いアプリを作るのが目的なのに、
仕様や条件に囚われ、結局つまらないものができてしまう。
資料を作成する目的があったはずなのに、
その資料を作成することがルーチン化し、資料作成と言う手段が
いつの間にか目的化する。
怖いことにこれが進むと、資料作りが自分のアイデンティティとなり、
資料作りを止めるよう言われると自分を否定された気持ちになる。
こんな経験をしたことはありませんか?