秋元康氏の語り Part 3

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実は、僕は皆さんが思う以上に何も考えていない。

僕がやっているのは、勘に頼った一本釣りみたいなもの。

それを学者や記者の方が学術的に説明したり、分析したりしてくれるが、

僕自身は狙って行動しているわけではない。

 

スマホのアプリで何か作って欲しいと頼まれることが多い。

そういう話は、料理を作るときに、何を作るのかではなく、

何に盛り付けるかを重要視している。

 

僕たちが作らなければならないのは、決して皿に合わせた料理ではない。

美味しい料理を作らなければならないのに、あまりにも皿側に

目が行ってしまっていると感じている。

 

秋元康氏 談

 

<ばたさん語り>

秋元氏が何も考えていないわけはないと思いますが、

今までにひたすら考えてきた経験に比べれば、今は考えていないと

いうことなんでしょうか。

 

具象や抽象、主観と客観等の観点から思考を繰り返して

今までのヒットを生むことができたんだと思います。

 

アプリの話に関しては、「目的と手段」の話かなと思います。

楽しい、面白いアプリを作るのが目的なのに、

仕様や条件に囚われ、結局つまらないものができてしまう。

 

資料を作成する目的があったはずなのに、

その資料を作成することがルーチン化し、資料作成と言う手段が

いつの間にか目的化する。

 

怖いことにこれが進むと、資料作りが自分のアイデンティティとなり、

資料作りを止めるよう言われると自分を否定された気持ちになる。

こんな経験をしたことはありませんか?

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